SAYONARANIPPON

note

記録としての役割もあったりするので、どうしても色々難しくなったりはするけど、アートは幻であることはきっとそうだと思う。それをまやかしと捉えてしまうことは簡単だけど、そういうものを肯定的に捉えた方が世界は広がるんだというのを前提にしたい。

note

お金ってそれ自体に問題があるのではなくて、使う事によって作りだされる歪みが最大の問題点だなあ。世の中にある問題のほぼ根源とも言える、飢えを多少なりとも軽減出来る可能性があるものなのに、お金にまつわるその歪みがその飢えや妬みや、更に差別を生み出している。

note

自分だけの、自分が納得出来る現し方で、どうすれば虚構と現実の境目を表すことができるのかなあ?

note

普通(スタンダード)でありながら、表現をすることはなんて苦しいんだろう。いっそスタイルを決めて武装してしまえば楽なのはわかっているんだけど、それでは自分の表現に到達できないように思う。あくまでも世の中にすり寄った、きれいね、かわいいね、元気をもらいましたっていう感想をもらう為の、まさにあってもなくてもそう大差のない、空気みたいな表現ではないことが前提の話。

note

自然の美しさや物のあり方、人の動き、陰影のあり方など過去の作家達も注目して探求されてきた表現を見て、そういうものが純粋でその自然な有様を純粋に表現するとアートになると、それこそがアートだと決めつけをしてしまう人は視野が狭いとしか言えない。もちろんそういった表現にもすばらしいものは沢山あるし、過去の作家達によってもたらされた解法の積み重ねもあり、完成度が高く終始一貫した表現になっているものも多いので、私自身好きな作家は多くいる。

ただしかし、新たな表し方、新たな視点、新たな感覚を与えるものもあってそれらはシンプルな視点ではないかもしれないが、そういう表現の優れた作品は新たな美の視野をもたらすことがある。新たなと言うと、斬新なことをやればいいのかと言った短絡的な意見がでたりするが、ここでいうものは、作家がつきつめたコンセプトの上でその視点から見ればこのように美というものが定義できたりしますよというもののことです。雰囲気としておおらかに共有している美の有様をそういうもの達は、ほんの少しだけ明らかなものにしたりする。

そういう探求者こそが本当に認められるべきアーティストなのではないか。

note

存在する人、ものとは違う物にすることによって得られる普遍性はあるのではないか。
一番最初にきれいと思ったもの、美しいと思えたものは何だろう?もしくは一番最初に感動したことは何だったんだろうか?

note

美のたねはそこかしこにあって、それを顕し提示するのが芸術。

当たり前に上手い下手があるよ。アートに上手い下手がないなんて嘘。

多くの人が優れた芸術家なんてのは幻想。